何となく思いついたこと…

本屋のコストについて。

本屋が本屋として成立するには、本を読む人が必要なわけだが、本を読むという行為は本から情報を取得するためのコストがかかるから発生する行為なんだよね。

もし仮に、T.P.ぼんに出てきたような本を放り込んだらその中身の情報を脳に直接書き込んでしまうような、コストのものすごーく低い情報取得の手段があったとするとどうだろう。あ、脳へ直接インプットできるとするとそもそも伝達媒体そのものからデジタルになるか。じゃ、あくまでも人が五感に頼って情報入力をするのだけど、30分とか3分とかでハードカバーの本1冊分くらいのコンテンツをすべて自身にインプットできるとしたら? そうなたったときにわざわざ本を買うだろうか?

おそらく本は買わないよね。図書館に行けば十分なのだから。で、本はコレクターズアイテムみたいになるのかな、という気がする。個人で本を所有するということがほとんどなくなって、本を持つのは図書館とか学校とか。本屋といえば貸本屋になるのではないかね。ああ、画集とか、芸術系のものとか、絵画、図画の類についてはこの限りではないのかもしれないな。

そこで、だ。本屋というのは人の情報伝達・情報入力にそれなりのコストがかかるが故に発生する商売なのかなと思った次第で。書物による情報伝達はその伝達コストが高いが故に疎まれるのだけど、その伝達コストがあるからこそ商売が成り立っているのだろうな、と思ったのでした。