みみがいたい

「適切な質問」を探す新人たち - 圏外からのひとこと(2005-09-20)

日本の人は、欠点をなくしてからその上に表現しないきゃいけないと思ってる

それでやっと気がついたのだけど、彼らは「適切な質問」を必死で探していたのだ。

「適切な質問」というものがあると、彼らは学校教育で叩きこまれているようだ。「適切な質問」をしないと講師への失礼になるか、自分の評価が下がると思っているみたいだ。

……すごい.当たり.正解.現在研修中の人間として本当に耳が痛い.が,これを見過ごしてはいけないと思う.
もちろん,いろんな話聞いてもわからないんだ.知らないんだもの.自分の許容範囲の何歩も外の話しをバカスカされる.全体像が見えなくなる.何がわかればわかるようになるのかもわからなくなる.曇りガラスを2枚くらい重ねて外を眺めているような感じになる.こうなるともう当事者でなくて傍観者だ.周りにいる人数が多ければ多いほどそうなる.自分の役割は平均化されて 1/n になっていると勝手に決め付ける.小魚が群れになって己の身を守るように.見えていないのだから,見られていないと.
そこで刺(指)される.
何がわからないのかわからないのに訊いても仕方ないよな,とか,こんなくだらないこと訊いても意味がないよな,とか考える.そもそも,途中から何も見てないので何も思い浮かばなかったりもする.曇りガラスの外から傍観しているだけで,その景色について感想を抱けるかという話だ.「ぼんやりしてます」としか言えない.それでは話にならないので,「何を訊けばいいのだろう」と考える.せめて自分にも判るアクセントはなんだったかと資料をめくる.
質問するとわかってないことがわかってしまうので……というのはあるかもしれない.アホなこと言って晒されたくないから黙っておこうとか? ある意味,自意識過剰なんだろうか.自分を出して否定されるのが怖い……「何聞いてたんだ」とか,「聞いてなかったのか」とか,「そんなことも判らないのか」とかいわれたくない/見られたくない. これなら出しても(自分が/周りから見られて)大丈夫,と思える物だけ出そうとする(→「適切な」質問:そんなものは滅多にない).人数的な側面も強い気がする.周りにいる人が多いと,周辺に埋もれて群体化してしまおうとするというか.その場にいる人数が多いほど質問が出にくいという現象が発生する.

でもこれだけじゃないよな.原因自体も良くわからない.学校教育で "叩き込まれた" かというと,うーんそうかな,という感じだ(学校生活の中に何らかの原因はあるだろうけど).まとまりきらない文章を書いてしまったがとりあえず今思いつくことだけあげておこうと思う.

………………

これもすごく面白い.またゆっくり読み直そう.