古畑 vs メタ=古畑
GEB本(ISBN:4826901259)の第5章と「小さな和声の迷路」をネタに適当な思いつきを書きます.
ドラマ古畑任三郎の特徴としてフィクション性の薄さがあるように思う.何のことだか良くわからないが,要は実在の人物が実名で,本人役として登場するという特異性のことだ.ゲストが本人として登場する.この場合フィクションなのはゲスト以外のキャラクターと事件そのものだ.本人役のゲスト,その存在自体はフィクションから一段戻って(pop)しまっている.ついでに言えば,解答編の直前に入る古畑の独白,これもまた一段作品から戻って(pop)いる.スポットライトの中で,古畑はドラマ世界の住人から茶の間の視聴者視点へ……いわば "メタ古畑" へと視点を移してヒントを与える.もともと再帰的性格を持った作品といえるのかもしれない.
さてここで,上の「もう一つの最終回」だ.よくできている.さらに複数の再起構造が導入されている.
タモリのいる現実がベースライン.スタックが空の状態だとしよう.push されるごとにドラマ側へ,pop されるごとに現実側へと話のレベルがシフトする.リストのレベルがスタックの状態だと思ってほしい.
んじゃスタート.
本来,解答編を終えて現実世界のレベルへと pop されるはずなのだが,それがないままいったん戻る.
- 翌日の「いいとも」
- 古畑任三郎がゲストとして登場
現実の「いいとも」の中に古畑という架空の存在,架空であったはずの事件が押し込まれる.
今泉は現実から一段 push した状態におり,再帰が完全に終了していない.宙ぶらりんの状態で迎える結末はまさしく「小さな和声の迷路」だったりする.
というだけ.それだけ思いついたので書きました.上記のストーリーとスタックレベルの関係については自分で書いてても何か変だなあと思いつつ書いているので変なのはご勘弁ください.要は,視点がいろいろ変化してるよってことです.