「美しい景観」の違和感

まあ、ご存知のとおりDPZの街角鑑賞系のネタが好きなんですが、中でも大山さんの鑑賞シリーズが非常に好きでして。最近blogの方もちらほらと読み始めるようになったんですよ。で、この話

誰にでも生まれ育った町があって、たいていそれは自分では選べない。景観とか風景とかは単に視覚的な問題じゃない。

についてちょっとだけ、寝る前にちょっと思ったことがあるので書いておく。

ここで話題に上がっている「美しい景観を創る会」ですが、確かに強烈な違和感がある。その理由は上に引用した点で同意なんですが。

なんというか、自分の家の近くでどっかからやってきたカメラマンに声をかけられて、「あれさえなければ最高の景色なんだけど」といって自宅を指差されたような居心地の悪さなんだよね。そりゃ、絵葉書の写真撮りたいような御方にはそうかもしれないけど、住んでる人にとってはそうじゃないわけですよ。そこに住んでる人にとっては大切なものだったりするのを、見ず知らずの他人にとやかく言われたくないって。その土地の良し悪しをかたってよいのはそこに住んでいる人だけだと思うんだけどね。何の歴史も経緯も事情も良くわかってない(であろう)人にとやかく言われたくないと。

個人的には、こういう違和感と言うか見苦しいようなところだって人間くさくてそれなりの魅力があると思ったりもするんだけどね。北海道なんて歴史の浅い土地に住んでいた人間からすると、ちぐはぐだったりバランスが取れてなかったり混沌としてたりする街並みだって、そこに人が居て何かをやってきた時間の積み重ねみたいのがあってとても新鮮なのだけど。新しい街とか再開発後の街並みってどっかで見たような景色ばっかりでツマンナイと思うのよ。"どこかの誰か"が計画したキレイなだけ街よりも、"そこに住む人"の力学で形成された街のほうが個性的で魅力があるよね、と思ったのです。

都市再開発においてはこういうデリカシーのなさが地元民の反発を招くんじゃなかろうか。下北沢の再開発とか。ひとまず、こち亀でも読んで出直してきたらどうでしょう。